、佐々木八十八が一線を退いた後は、実質的な責任者として手腕を発揮した。
営業面の拡大だけでなく、社内の管理方法においても次々に近代的な考え方を導入。世が大福帖で商売をしていた時代に、在庫管理手法を導入。人事制度においても「暖簾わけ」を廃止し、会社が発展すれば自分の生活も豊かになるように改革した。
関東大震災の時、被災した百貨店に対して、自身も被災したことから多くの問屋が現金取引を要求するなかで、佐々木営業部は現金を介さない手形取引を行い取引先からの信用を獲得したという尾上設蔵の逸話が残っている。また、の大きさが分からないときに人界戦術で被災地の情報を集め、どこよりも早く大量の生活必需品をチャーター船で東京に送ったというエピソードは有名。

※商標「レナウン」について
過去の資料をひも解くと、1923年「レナウン」が商標登録されたのは佐々木八十八のひらめきで、当時の肌着担当者に指示をしたようだが、翌1923年に佐々木八十八は区会議員になり、事実上経営から引退しており、事業は尾上設蔵に引き次がれている。つまり、佐々木八十八のひらめきを基に「レナウン」ブランドビジネスの基礎を固め、拡大した功労者こそ尾上設蔵だと考えられる。